東京地方裁判所八王子支部 昭和43年(わ)733号 判決 1969年11月04日
被告人 堀米与市
昭四・一・二八生 大工職
主文
被告人は無罪。
理由
第一公訴事実
本件公訴事実は、「被告人は予てから隣人木村光雄こと李鐘権(四三年)と不仲であつたものであるが、昭和四三年八月二六日午後八時三〇分頃、肩書住居自宅において飲酒中、右李鐘権が同人方を出るのを目撃するや、日頃の同人の言動を想起して殺意を生じ、くり小刀を手にして戸外に出て、矢庭に同人を一〇数回に亘り刺したり切りつけ、よつて同人をして同日午後一〇時五五分頃、調布市国領町五丁目三一番地多摩川病院において、肺臓の刺創に基く胸腔内出血、頸部血管刺創に基く失血及び背面、四肢などの刺切創に基く失血により死亡させて殺害の目的を遂げたものである。」というのである。
第二認定した事実
1 被告人は尋常高等小学校高等科を卒業したのち、本籍地で亡父の大工職を手伝つていたが、昭和三七年ごろ上京して肩書住居に住み、弟民二、同清幸らとともに大工職として働らき現在にいたつた。
2 被告人は二〇才ごろから飲酒を好むようになり、とくに上京してからは酒量も増加し、金がある限り仕事に就かず連日酒を飲みつづける程の状態となつたが、酒癖は非常にわるく、飲酒すると物をこわしたり、身内のみならず他人にも暴力を振うなどの行為にでることが多く、昭和二五年ごろから本件にいたるまでに、いずれも酩酊したあげく、器物損壊、暴行、傷害、不退去などの非行を犯し、前後一〇回の逮捕歴がある。
3 被告人は昭和四三年六月ごろから大工本間馨の請負つた安藤某宅の改築工事に従事したが、手間賃のことで不満を抱き、酔余再三にわたり、右安藤に対し「勘定をくれ、くれなければたたきこわすぞ、だから俺は朝鮮人がきらいなんだ。」などと怒鳴りこんだため、右本間から注意を受ける始末となった。そして、被告人の耳には、そのころから連日にわたり、夜半床に就いたのち、朝鮮人や右安藤の若衆らが大勢でくさりをひきずるような音をたてながら自宅のまわりを「与市の家はどこだ。与市の家はどこだ。」と言いながら歩きまわったり、創価学会の人たちとともに「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」「与市を殺せ。与市を殺せ。」などと言いまわる声や弟民二が同人らに攻撃されている物音などが聞えてくるようになり、さらにベニヤ板を隔て隣り合わせに住んでいる木村光雄こと李鐘権(当四三年)やうずら会(土地不法占拠により明渡を求められている者たちの集り)会長門伝長治ならびに創価学会の人たちが与市の身体を六〇〇万円で売りに出したとうわさする声が聞えてくる始末となり、これらの幻聴から次第に恐怖にかられ、一層深酒をしてその苦しみをまぎらす日が多くなった。
4 ところで、被告人は、同年八月二六日午前七時三〇分ごろ、大工仲間が被告人を仕事に誘いにきてくれたものの、働らく気持にならず、ともに自室で飲酒して終日くらしたが、同日夕刻にいたり、隣家に住む前記木村光雄方で同人が集つている気配を知るや、右木村が中心となって創価学会や朝鮮の人たちが自分を殺す相談をしているものと思い込み、同日午後八時三〇分ごろ、右木村が同人宅を出るのを目撃すると咄嗟にどうせ木村に殺されるのなら、自分の方から先に同人を殺し、警察に身をまかせようと考え、自宅食卓に置いてあつた刃渡り約一四センチメートルの大工用くり小刀(昭和四三年押第二三九号の一)を右手に持つて外に飛び出したうえ、矢庭に歩行中の同人の胸部、腹部、頸部、背部などを一〇数回にわたって刺したり、切りつけたりし、よって同人をして同日午後一〇時五五分ごろ、東京都調布市国領町五丁目三一番地多摩川病院において、肺臓の刺創にもとづく胸腔内出血、頸部血管刺創にもとづく失血および背面、四肢などの刺切創などにもとづく失血により死亡させて殺害の目的を逐げた。
5 被告人は右犯行後自宅に戻り手を洗つたのち、警察に自首するべく、警視庁調布警察署京王多摩川駅前派出所に向う途中すでに緊急配備についていた警察官に「木村を先に刺し殺してやりこれで安心だ。」と言いながら逮捕された。
6 右の事実は、司法巡査作成の現行犯人逮捕手続書、司法警察員作成の検視調書、医師時崎謙作成の死体検案書、医師青木利彦外一名作成の鑑定書、司法警察員作成の実況見分調書、押収してあるくり小刀一本(昭和四三年押第二三九号の一)警視庁技術吏員渡辺満子作成の鑑定書、堀米由美子、高橋典子、桜井星二郎、金山永圭、本間馨、門伝長治、堀米民二、堀米まつのの司法警察員に対する各供述書、証人高橋典子、同堀込まつの、同堀込民二の当公判廷における各供述、被告人の司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書、第一回公判調書中の被告人の供述部分を総合してこれを認める。
第三判断
右に認定した事実に、医師中田修作成の精神状態鑑定書ならびに同医師の公判廷における供述を総合すると、被告人は二〇才ごろからの習慣的な飲酒によるアルコール嗜癖のため、昭和四三年初めごろから慢性アルコール中毒の症状を示すようになつたが、とくに同年六月ごろからはアルコール幻覚症に罹患するにいたり、夜毎大勢の者が被告人宅に押しかけて被告人を襲う話声が聞え、さらに「南無妙法蓮華経」という念仏の声とともに「与市を殺せ。与市を殺せ。」という声が律動的に聞えるようになり、こうした幻聴に非常な恐怖、不安感を覚えるとともに、安藤の若衆、朝鮮人、創価学会の人たちに殺されるという被害妄想に支配されるにいたり、こうしたアルコール幻覚症の状態のうえに酩酊が加わり、同人らの中心となつた本件被害者に殺されるというつよい被害妄想にもとづき、他の行為を選択することが期待できない状態に陥り、その結果本件犯行に及んだものと解され、しかもその程度は右のような重篤であつたことが窺われるから、被告人は本件犯行当時、事の是非善悪を弁識し、これに従つて行動する能力を欠いた心神喪失の状態にあつたものというべきである。もつとも前記認定のように、被告人は本件犯行直後警察署に自首するべく交番に向つたことが窺われ、さらに犯行の翌日作成された被告人の司法警察員に対する供述調書の中には「人を殺すとは、悪い事をしてしまつたと後悔しております」との記載があるが、前記のように被告人は当時本件被害者に殺されるというつよい被害妄想に陥つていたことを考えると、当時被告人は人を殺して大変なことをしたという程度の悪意をもつたというにとどまり殺害の意思を抑止するという能力を全く欠く状態で本件犯行がおこなわれたことが明らかであるから、この点において前記結論を左右するものとはなしえない。
第四結論
そうだとすれば、被告人の本件所為は刑法三九条一項の心神喪失者の行為に該当し、罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡をする。